2010年10月19日火曜日

大学の附属小にて

自分の任務は郡内99の小学校を巡回し、理科と算数の授業を行うこと。

12月までの1学期は4年生にかけ算、5年生に磁石と光の授業を行うことにします。


そして、ついに任地で初授業でした。ようやくの授業、ここまで長かった…。

今日はカレッジの附属小へ。事務所いわく「郡のモデル校」で、ハイレベルであります。



さっそく校長先生にごあいさつ。レッスンプランを説明すると、

「うちの4年生はかけ算くらいできるぞ、もっとハイレベルなものを」とのこと。

「うーん、でもやったとできているは違うし。とりあえず授業見てください」とゴリ押し。


授業ではいろいろあったけど、やっぱりかけ算の授業が印象的です。

「1袋6個入りのマンゴーを、9袋買いました。マンゴーは何個?」

こんな場面に出くわした時、皆さんならどうしますか?かけ算使う?ですよね。

でも、こっちの子たちは必死に線を書いて数えたり、

ちょっとかしこい子になると6を9回足し始めます。


そこで、「おーい、かけ算使うと一瞬でできるぞー。」と言うと、

「マジっすか、ミスター!?」って反応をします。

子どもたちは数字を見てもそれが何なのか、よく分かってないんだろうな。


九九表を教育事務所が前任の方と作成してくれたので、それを活用。

今日は6の段をいろんなバリエーションで、とにかくみんなで練習。

この九九表を99校に頒布して掲示などで活用してもらうようにするのも、大事な任務です。

九九を暗記するっていうことは、それほど重きを置かれていない様子なのです。


「6の段、言ってみるよ。できるかな?」

「カンタンだよー!ろくいちがろく、ろくにじゅう、ろくさんじゅうろく…」

…アカンアカン、できてないやん!練習あるのみ。



最後に6の段を紙に書かせてみたけど、まだまだイマイチ。

イマイチなのはしょうがないとして、問題はカンニングしてその場をやり過ごそうという子。

しかも、そういう子が非常に多い。

この「答えさえ合っていればそれでよし」的風潮を、ガーナに来てすごく感じます。

そして、先生も結果だけで判断し、その過程は一切無視という感じ。

答えが間違っていれば、ムチでバシバシしばいて泣かせてますから…。

そりゃ、子どもたちも先生の目を盗んでカンニングを働くようになるような…。



授業が終わって、校長先生や担任の先生と懇談。


担任の先生:

(6の段のできが悪いことについて)今日は子どもたちの調子が悪かったわね。

新学期が始まったばかりで忘れてしまっているわ。

これから授業のはじめに復習をさせてみるわね。


校長先生:

いいんじゃね。かけ算はカンタンだったろ?

あとはな、計算ドリルをたくさんさせてやってくれ。

うちの子は教科書もノートも持っているんだから。



新学期が始まってもう1カ月経ってますけど、とか

ていうか校長先生1秒も授業見てないやん、とかいろいろツッコミたくなったけど、

担任の先生が「復習をさせてみる」と言ってくれたのはデカい。


まだまだ始まったばかりだけど、

「繰り返す」とか「繰り返すことを飽きさせない」とか、

「間違えても大丈夫」「答えは何かより、どうやって答えを出すのかに興味をもつ」など、

なんかそういう流れにもっていけたらいいなと漠然と思います。


自分の考えにしがみついて頭を固くするのもどうかと思うけど、

やっぱりせっかく来たんだから、少しでも自分の想いは伝えていきたいところ。


逆に、ガーナの先生の考えもちゃんと聞きたい。

例えば「うちの子は教科書もノートも持っている」という校長先生の言葉は、考えさせられます。

たとえ貸出の中古だとしても、教科書があるってすごいことなんだなと。


明日も附属小に行ってきます。

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