2010年11月10日水曜日

答えじゃなくて、答え方を考える

今日はZUTAという小学校へ。

遠かった…。歩いて1時間強。朝から汗ダーダーです。



校長先生が「オレ、仏教徒なんだ」と。

仏教のすばらしさ、そして日本のすばらしさをとうとうと語っていただきました。

学校のモットーも、仏教の教えから引いてきているそう。



最終日の授業が終わってバイバイしようとしたところ、

「おい、よかったら5年生の算数も1時間授業してくれよ!」と校長先生。


はいはい皆さん、来ましたよー!久しぶりのノールックキラーパス!

こういう場合は笑顔で「はい」か「イエス」と答えるべし。

でも、何も準備してないし、何やろう…。


というわけで、いつかの学校で試みた「ガウスのたし算」をすることに。


「1から100までたすと、いくつになるかな?」というと、

みんな必死に最初からたし始めます。でも、途中でみんな疲労の色が。


そこで、「問題を1から10までにしてみよう」ということに。

これならできるぞと言わんばかりに、次々と「できた!55でしょ!」と。


ここで、「もっと簡単に答えを求める工夫をしてみよう」といっしょに考えることに。

何も話さず式を黒板に書き、1と10、2と9、3と8…を線で結んでやります。


そのまましばらく待ってると、「みんなイレブンだ」とつぶやく子が出てきます。

「いいねいいね、それで?」なんてやっているうちに、11のかたまりが5つあることに気づきます。



「よし、この工夫を生かしてもう一度最初の問題に取り組んでみよう」と言ったら、

こちらの予想以上にやる気マックスに。こういう姿、いいですよね。



ああでもない、こうでもないと試行錯誤の末…



みんな5050という答えを導きだしました。バンザイ!

(例えば上の写真の子も、ゼロの付け忘れに気づき、ちゃんと5050を導きだしましたよ)



「答えがあってればそれでよし」的な雰囲気を巡回しながら感じていた中、

今日の子たちは「どうやって答えを出そうか」と考えることを楽しむ雰囲気がありました。


間違ってもあきらめない、すぐに先生に答えを聞かず自分でなんとかしてやろうとする。

友だちの意見を参考にして、自分なりの解決策を見つけようとする。


そんな姿勢を見れたことに驚いたし、とてもうれしかった。

そうそう、大事なのはこれだよなって思いました。



「うちは村の学校だから、将来子どもたちが町に出た時に困らないようにしっかり教えたい」

とは、このクラスの担任の先生の言葉。


こちらこそ勉強になりました。

1 件のコメント:

seigo さんのコメント...

今日のJunichiの話、私の場合は、自分か迂闊にも答え重視なテストにしてしまったことが一つの反省点。懇々と気が遠くなる個別レッスンをしていたのに・・・
こっち先生も、プロセスが大切なことは分かっているけど、それの定着が日本以上に難しい(国のカリキュラムレベルからの差)から、体罰という名の力技にはしってしまっている人もいるよねー。
少しでも自分が指針になれるようにと思っている今日この頃。ここのブログはいろいろハッとさせられます。ありがとう