2012年2月20日月曜日

ガラパゴスでもいいんじゃない


何が有意義だったか編、その弍。

2日目は VSO や Peace Corps といった他国ボランティアを交えた授業交流会。

今回の VSO はフィリピン人、Peace Corps はアメリカ人でした。


同じテーマを企画者のゆう君が提示していたのに、

こうも違うかと思えるほどの、授業スタイルの違い。

そして、その後のディスカッション。


言いたいことの半分も英語で言えないぜベイベーという寂しさ、もどかしさ、

早口でまくし立てるな、俺は俺のペースでしゃべらせろチクショーという怒りにも似た悔しさ、

そんな気持ちも忘れられないのですが、

やはりディスカッションは反芻するに値するほど貴重な経験でした。



「いい授業」の「いい」に言及する時、けっこう都合よく practical と表現するのですが、

もっとも大きな差を感じたのは、この practical という言葉のとらえ方の違いです。


個人的には practical とは問いがどこかからの借り物ではなく自分のもので、

自分で確かめに行くための足がかりを見つけることがおよそ保障されていて、

それゆえ「実践的」だと考えます。(違うかもしれないけど)


他国ボランティアと話していて気づいたのは、

たとえば試験に、あるいは近い将来に必要なスキルとして役立つ、

比較的すぐに「こいつはためになる」と効用を実感することが可能な

すなわち「実用的」とも考えているということです。


たしかに、上述のような「実践的」を求めるのは、まどろっこしいかね。

「実用的」で目に見える効果、ほしいよね。

四の五の言わず、分かりやすく賢くしてやりたいよね。


あまりにも堂々と英語で自分の意見をパシっと言われるものだから、

もしも自分の力で立っていられなかったら、

「そうです、おっしゃる通りです、明日からいや今日から心を改めます」と

立つ前のクララ状態になってしまうかもしれません。

これが世界の時流なの? ここで頑なになったら、またガラパゴス扱い?



「グローバル化」とか「世界の中の日本」などは、

これからの私たちを語る上で欠かせないような言葉になっているように思います。


でも、その答えはどうやら漠然と「英語を流暢に扱える」

「その分野でリードする国を知って、それを取り入れる」

なんて具合になりがちのようです。


英語教師をしているとこれはしばしば問い直すべきことなのですが、

このことを考える上で勇気をくれたというか、示唆に富むエピソードがあります。

宮崎駿が日本外国特派員協会に登場し、講演を行った時のことです。(詳しくはこちら


曰く、「国際化というのはボーナスみたいなもので、

私たちにとっていつも考えなければならないのは、日本の社会であり、

日本にいる子どもたちであり、周りの子どもたちです。

それをもっと徹底することによって、世界に通用するぐらいな

ある種の普遍性にたどり着けたら素晴らしい」とのこと。

そして、そう言えるのは「日本の人口が1億を超えたから」だとか。


ガーナにいると中国製品の勢いのよさを目の当たりにしたり、

SAMSUNGのケータイやHYUNDAIの車が走ってて「韓国キテるなー」と思ったりする日々。


1億超のマーケットをもって日本が「もうさ、国内だけで別によくね?」としているのなら、

それって本当に大丈夫なペイラインなの?と思わされもしますので、

すべての分野にこの考え方が通用するのかは分かりません。


しかし、見落としがちな「人口が1億を超えた」日本のサイズを踏まえた上で、

日本で通用するようになることが世界にもつながると述べているのは、興味深いです。


「グローバル」や「国際」という言葉を使おうとするなら、

それぞれの国を十把一絡げに見てはいけないというのは、とても大事な視点です。


フィリピンの人が英語が上手なのは、うれしいばかりではない切ない事情もあるでしょう。

しかし、それを活かしてフィリピンを支える人材を育てられないか。


赤道直下であるがゆえに収穫できる作物も食事も日本とはまったく違うガーナに、

日本と同じような「国の担い手」の姿を適用するのは、無理があるでしょう。


それぞれの国のサイズや歴史背景、気候や食べ物までが違うことに留意するべきです。

それらを勘定に入れ忘れた時、早計な結論に終わってしまう気がするのです。


そう思えば、今回あらゆる国のボランティアや教師が主張しようとしたこと

そのすべてが適切だったと言えます。

それぞれの国の事情が違うゆえ、こんな人を育てたいという思いが違うし、

よって教育のアプローチも当然違うので。


そして、どちらかと言えば考える力を付けたくて、practical は「実践的」と訳す

日本人ボランティアも、他国の意見を参考にしつつ、そのまま行けよと思います。


もちろん地域によって差はあると思うのですが、

あらゆる都道府県からガーナに集まった日本人が何となく同じような問題点に気づき、

何となく似たような解決の手立てを講じようとしているあたり、

日本の学校が積み上げてきたものは大したことあるぞと言えそうです。


その積み上げてきたものが「考える力を」「実践的に」という言葉にまとめられるものならば、

宮崎駿の言うようにそれを日本でもっと徹底すれば、

きっと世界で通用する普遍になると思います。


なぜなら、知識の多さや計算能力の高さなどはあればあるだけに越したことはないのですが、

その部分においては人間にとってもうとっくに勝ち目のないコンピュータが

ガーナを含めて「世界中」と言ってもウソにはならないほどの勢いで普及しているからです。


コンピュータにはどうあがいても勝てない人間が、人間であるためには。

これは遅かれ早かれ、どの国の人も考えざるを得ない課題になると思うし、

そして日本が進もうとする道には、その答えが見えそうな気配がプンプンするのです。



というわけで、このミーティングを終えての自分の意見は

その国が育てたい人材には違いがあって当然なのだから、

聞く耳がありつつ、今までしてきたことに足をつけたまま進むガラパゴスでいこう、です。


「よその国はこうなのに、それに比べて日本ったら…」というような呪いにも似た定型文や

「だから日本の常識は世界の非常識なんだよ」みたいな妙に偏屈な決めゼリフが

自分の中にあるのなら、そんなものは捨ててしまいたい。

という願いをこめた、今回のまとめでした。


こうやって考える材料を与えてくれた授業者の皆さん、

知的な刺激を振りまいていただきました、ありがとうございました。


授業者のあをたけさんと泉さん(しんちゃんだよ、お孫さん!)の写真は前に載せたので、

もう一人の授業者、最近姿を見ないタケタケガーナの写真で締めくくりましょう。


全国6千万のファンの皆さま、ご安心ください。

彼はあんまりマスコミに露出しない、大黒摩季戦法を採用しているだけです。


では、ごきげんよう。



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